こんにちは!
今日は、少し考えさせられた「ある言葉」についてお話ししていきます。
その言葉とは、TikTokでバズったあるメモ書きなのですが、
「キャベツが1玉500円。
スーパーで正直うーんと思ったけど、
“スタバのコーヒーに500円出せて、キャベツに500円出せないのはなぜだろう。”って話を思い出してすぐにカゴに入れた。
コーヒーは一瞬だけど、キャベツは何食分も使えるもんね。」
という言葉。
確信をついている部分が引用ではあるのですが「コーヒーは一瞬だけどキャベツは何食分も使える」というのはまさにその通りですよね。
ということで今回は、「価値の感じ方」についてお話ししていこうと思います。
なぜスタバのコーヒーには500円を払えて、キャベツには躊躇するのか?
そもそも、なぜ僕たちはスタバのコーヒーには自然に500円を払えるのに、キャベツが500円だと「高い」と感じてしまうんでしょうか?
僕が考えるに、その理由の一つは 「価格に対するイメージ」 にあると思います。
キャベツが1玉500円だと高く感じるのは、単純に「もともとキャベツはもっと安かった」という記憶があるからじゃないでしょうか。
普段100~200円で買えていたものが、急に500円になれば当然「割高だ」と感じてしまいます。
一方、スタバのコーヒーに対しては「もともと500円くらいするもの」という認識が定着していますよね。
例えば、普段200円ほどで買えるコンビニのブレンドコーヒーが、ある日500円になったとします。
そうなるとスタバと全く同じ味、風味だったとしても、少し躊躇しますよね。
つまり、僕たちが価格に対してどう感じるかは、その商品に対する 「価格のイメージ」 と大きく関わっているということですね。
「一瞬の贅沢」と「日常の必需品」
もう一つの要因は、スタバのコーヒーとキャベツが持つ「商品としての性質」の違いです。
スタバのコーヒーは、ちょっとした贅沢やリフレッシュなどの体験を買っている一面もあるもので、瞬間的な満足感が得られます。
一方で、キャベツは「日常的な必需品」であり、特別感を感じにくい商品ですよね。
この「特別感の有無」も、価格に対する許容度を左右しているんだと思います。
一瞬の贅沢には、多少高くても「自分へのご褒美」などとして払いやすいですが、日常的に使うものに対しては「安くて当たり前」という意識が強いというわけです。
今回紹介した「スタバのコーヒーは一瞬だけど、キャベツは何食分も使える」という言葉は、価値観を考えるきっかけになりますよね。
これからも物価高は続くかもしれませんが、その中で「本当に価値があるもの」を見極める感覚を育てていきたいですね。
それでは、本日は以上です!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました^^
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